――和佳奈さんが受講された当時はWEBプロデュースをする株式会社ティスを経営されている時でしたね。そもそもなぜ経営者を目指されたのでしょう?
【和佳奈さん】私が育った家庭の影響が大きかったと思います。父には財力があって権限が圧倒的でした。母には家庭しかなく、思い切って好きな事をできる状態ではなかったのです。
しかし、母ほどの人が社会に出ていけば、仕事のできる人だったんじゃないかって気持ちをずっと抱いていました。だから自分が大人になったら自立して、仕事をしっかりやれる女性になりたかったんです。
新卒で証券会社に勤務して3年間で地道な貯金を株に変え、株価の上昇というラッキーも重なって、アメリカで数年留学生活を送るのには充分な資金を手にしました。
その資金を持ってワシントンDCへ向いました。すると、1ヶ月も経たないうちにバブルが崩壊してしまったのです。1ヶ月決断が遅かったら、3年間の努力は泡になって消えていましたね(苦笑)ぎりぎりです。
ただ、ワシントンDCに行っても大学には入学できず、2年間は語学学校に通い、知り合いもいない、言語も通じない辛?い留学生活を送りました。
2年後、先ほど話したようにボストン大学に入学、なんとか無事卒業する事ができました。
――留学から帰ってきてすぐに起業をすることになったのでしょうか?
【和佳奈さん】そうですね。留学から帰国後の1995年にWEBデザイン・プロデュースする株式会社ティスを設立、2009年9月に、自分だけのオリジナルの洋服を作るCHOCOTTクチュールを提供する株式会社ブルーミング・ライフを設立しました。
――会社設立と経営は1つでも大変だと思うのですが。それを知っているのに、なぜもう1つ再び立ち上げようと思ったのでしょう? バイタリティがすごいですよね!?
【和佳奈さん】実は2009年に設立した株式会社ブルーミング・ライフでやっているようなビジョンに気づいたのは、留学直前のきっかけとなる出来事がありました。
渡米する時、成田空港で迷子になってしまって出発ゲートではなく、到着ゲートに行ってしまったんです。日本を離れる淋しさも重なって1人で泣いていたら、到着ロビーにフィリピン人の女性達がとても凛とした表情や服装でゲートから降りてきたのが見えました。
その時、彼女達のピリッと「日本で私はしっかり働いて家族に仕送りをして養うんだ!」という覚悟みたいなものを感じました。
私は職業を自由に選べる環境にいて、さらに家族の事情とは関係なく自分の夢を叶えるために渡米しようとしていて、本当は喜んでいなければならないのに、恵まれている私がなぜ心細くなって泣いているんだろう?と考えさせられたんですね。
その時、自分のビジョンが朧気に見えました。「将来は職業や才能を活かせるという環境ではない国の女性達が立派に自分のキャリアを積み上げられる支援をする仕事をしよう」と思ったんですよね。
遠回りしてきましたが、今まさに、その夢が実現できるかもしれないというところですね。
――まさかその壮大なビジョンを、趣味だったファッションの延長で実現してしまうなんて、すごいですね!
【和佳奈さん】逆に今までがジレンマの期間でしたね。そんな夢を抱いてアメリカから日本に帰ってきても、その時の私には自分一人を養うことしかできませんでした。
自分が見たビジョンのために、資金と人脈、影響力を持ってその仕事に役立てて行きたいと思っていたので、正直、まずは稼ぐこと優先と考え、軽い気持ちで会社を作りました。
ある日、たまたま応募した女性起業家コンテストに運良く受賞してしまって・・・今思えば、無知だった故にリスクや恐れを全く考えずに会社が作れたのです。
その時に作った会社でWEBプロデュースをやってきましたが、発展途上国の人のキャリアに貢献できるような兆しもなく、ビジネスの世界に流されたままきてしまったんですね。
――和佳奈さんは、そういう国の方の支援をしたいと思っていながらも、社会起業家になるという自覚はあったのでしょうか?
【和佳奈さん】社会起業家と言ったら大袈裟ですが、結果そうなってくれたら嬉しいとは思います。子どもの頃から、部落や差別問題・人身売買等にとても興味がありました。自分が何をする訳でもないけれど、常に気になっていたのは確かです。
それが「私はそれをやろう!」と思ったのは成田空港での出来事だったのですが、今もその気持ちは色褪せていません!
女性が自分の能力を活かして、仕事ができるように応援していきたいです。
ただ、フォトリーディングを受講した時は、「恵まれない人に能力を活かすチャンスを!」と志していたのに、いつのまにかビジネス社会の波にのまれて、ビジネス界の「恵まれない人」に、私自身がなっていた時でした。
とにかく本当に本当に大変で!
ちゃんと稼げるビジネスを立ち上げていたのに、私の勉強不足で経営と資金繰りにいつも振り回されていたように思います。
当時の私は開拓営業をし、プロジェクトをいくつも抱え、資金繰りや採用までやっていたので、とにかく時間がありませんでした。
経営者として、最低限勉強をしておかなければならない本だけでもマーケティング、採用、人事、経営、会計、海外ビジネス、英語・・・とにかく膨大な量の本を読みたかったし、読む必要があったのです。
また複数プロジェクトで“1日300~500通”のメールがくるのは当たり前でしたから、瞬時に目を通しリスクを関知することを効率的に行っていきたかったのです。
起業をしてからは、留学時代の時よりもはるかに死にものぐるいでした。 |